
2012.09.08更新
女性の体の豆知識
女性の体の豆知識というようなB5版を作りました。最初は私が1枚作ったのですが後をエンブリオロジストの永谷君ががんばって一気に数枚作ってくれてしまいました。私のものよりずっとわかりやすく書かれていますので、ちょっとした待ち時間に読んでいただければと思います。受付のカウンターに今は置いてあります。チラ読みをされてもお持ち帰りになっても結構です。この後も順次増やしていくつもりですのでご期待ください。またどんな話題についての記事を期待されるかのアンケート用紙も置いてありますのでご自由に書いてみてください。こういうことはどうなっているのかとか今までよくわかっていなかったことなど皆さんの通院に役立てられればと思っております。前にも一人で作ろうとしたことがあったのですがなかなか落ち着いて作る時間が持てなくて頓挫していましたが、スタッフが協力してくれて何とか継続 していけそうです。

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2012.09.08更新
過熱するAMH、測定狂想曲2
AMHの測定を行っても測定値は多くの値があるところに集中するような形のまともな正規分布にはなりません。ですから統計的に回帰直線などを引いたり、平均値を出しても標準偏差がものすごく大きいという状態で、この値ならこれくらいの年齢相当などという話しはとても信頼のおけるものとはいえません。測定した結果、AMH値がかなり低いと言うことなら、「卵巣に残存している卵子の数は少ないのだろうなあ、今周期で排卵誘発を行ってもあまり卵子が出てこないだろうなあ」という程度のことなのです。だいたい卵巣に残っている卵子数が25,000個より少なくなると生理不順が1,000個より少なくなると生理が止まるとも言われていますので、それくらい減少しなければ実際に皆さんにとってはあまり意味はないのです。これ以上の卵子数が残っていれば、いくらAMH値が低かろうが排卵は起こります。AMHが低いので妊娠しなくなるなどというのも間違いです。普通の生理周期のある方は毎周期1個の卵子が排卵できていますが、その影で何個かの卵子が眠りから目覚めたものの排卵もせずに黙って消えていっているのです。AMHが高ければ黙って消えていく卵子の数が多い、低ければその黙って消えていく卵子の数が少ないということだけなのであって、妊娠するかどうかは、その排卵した卵子が精子と出会って受精し、子宮内膜に着床するかどうかということだけなのです。ただこの卵子が染色体異常などの異常を持っているかミトコンドリアのエネルギーを作り出す力が十分かなどにかかっているのです。従って妊娠しやすいかどうかは女性の年齢に大きく左右されるのです。決して残っている卵子の数によって決まるものではないのです。実際に私たちが測るとするとFSHの値か高くなってきていて実際に急がないと卵子が枯渇してしまうまでに時間が余り残されていないのかどうか、体外受精などで複数の卵子を育てようとする際に今周期はどのような方法が適当かなどを考えるときに判断する際の参考になると言うことでしょう。多囊胞性卵巣なら高くて当然なのでそれほど測って実際に役立つとは思えません。実際に子宮内膜症などで大きく卵巣に手術侵襲を加えたり、抗がん剤tを使用したりすると卵子の数が減少しますのでAMHの値が低下するという結果は予想通りの結果として示されています。しかし、繰り返しますがかなりの低値でなければ絶対値にはあまり意味はありません。今周期や次の周期の排卵レースに参加しようかなと考えている卵子たちの数の目安でしかないのです。本来の学術的な測定に関する意義をいつの間にか越えて、測定値に過剰と思えるような解釈・解説が加えられてしまっているという現状には「測定が一種の流行になっているのですかねえ、そのうち下火になるのですかねえ」と思わざるを得ません。さらには、少し前から教科書的にも定説となっている卵子は限られていて、後は消失するだけという考えに対しても疑問が投げかけられていたり、卵子を作る幹細胞の研究も進みつつあります。この1-2年の妊娠をと考えているのでなければAMHが低くてもそれほど慌てるほどのこともないような気がしますが....
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2012.09.07更新
過熱するAMH、測定狂想曲1
最近マスコミにもあれこれ取り上げられているAMH(アンチミューレリアンホルモン)ですが、マスコミで取り上げられている様子を見ているとヤレヤレと思わざるを得ません。測ると卵巣年齢がわかるとか、測った結果を見せられて年齢よりも卵子の数がかなり少ないですとか言われて「え~っ!」とか言う姿が映し出されたりもします。どうしてこういう間違いがどんどん加速してしまっているのかなあと思ってしまいます。基本的にはAMHは卵巣の中の卵子の数そのものを表しているものではないのです。残っている卵子のうちで、ぼちぼち排卵に向かっていってみようかなあと眠りから醒めて、かけっこの準備を始めた卵子の数を表しているものなのです。確かにこの眠りから目覚める卵子の数は無作為で、おおまかな意味では残っている卵子が多ければ、その時点で目覚める卵子の数も多くなるであろうということは言えます(無い袖は振れないという言葉があるとおり)。しかし直接の残っている卵子数とイコールではないのです。ですから、そのとき目覚めている卵子の数を表しますから毎月測ったりすると値は変動します。絶対値にあまり意味はないのです。他のことに例えれば、基礎体温を測って基礎体温表を見て(AMHの値を見て)排卵が無いかもしれない、高温相の体温が不安定なので黄体ホルモンの分泌が悪い(卵子の数が少ない)と言っているようなものなのです。実際は体温の上下の変動が大きく高温相がよくわからなくてもきちっと排卵していることもありますし、体温上昇があまり明瞭でなくても黄体ホルモンは安定して分泌されていることはよくあります。基礎体温は黄体ホルモンが2-5ng/ml以上になれば体温調節中枢が反応して0.3度ほど設定温度を上げる、ホルモンの分泌量が多ければ体温の上昇の程度が大きくなると言うことではないとはので、体温調節中枢の反応がイマイチなら当然基礎体温は乱れます。このように基礎体温の表を見て一喜一憂しているという感じでしかありません、 -続く-
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2012.08.24更新
処暑
もう既に処暑なのですね。でも何か処暑なものか暑さは治まってなどいないぞと、昼に照りつけるチリチリと皮膚から音がしてきそうな太陽を背に額の汗をぬぐいながら思っていたのですが、今日の夜クリニックの雑用を片付けて9時頃久屋の通りを渡ろうと思ったときに、おや!風がいつもより涼しいぞと感じました。そうか、やはり毎日同じように暑い暑いと繰り返し言ってはいても、いつの間にか自分を取り巻く自然は静かに、しかし確実に変化してきているのだなあと思ってしまいます。そしてその風に乗って賑やかな音楽と踊る人たちの力強い気配が伝わってきました。そうなのです明日から「ど祭り」の本番なのですね。それで今日はその前夜祭なのですね。祭りに集まる人たちの体からほとばしり出るエネルギーを見ていると、これだけのエネルギーが作り出せる日本、また日本人はまだまだこれから頑張っていけるなあ日本はまだまだ沈没しないぞと感じざるを得ませんでした。なんだかこちらにも気のお裾分けがもらえたような気がしました。様々な規制や法律に縛られて他人の目というものにも束縛されて、自由奔放に振る舞うことは日頃できない毎日の生活を送る人たちの非日常の一時、自分がすっかり忘れてしまっていた若い頃のもてあましていたエネルギーを思い出しました。本当にこういうエネルギーを発散できるような場所を持っている人は、きっと日頃は穏やかな日々を送っているのだろうなあ思わざるを得ません。最近いじめによる自殺だとか傷害事件が次から次へと紙面を賑わす残念な報道がつづいていますが、ああいういじめをする子供も家庭内などで自分の心に満たされないものを秘めていて、その満たされない心が他人を認めてつきあえる気持ちのゆとりをなくすのでしょうね。それでその満たされない気持ちを自分より弱いものを傷つけることで紛らわそうとしているよに思えます。いっそそういう子供たちを集めてど祭りで踊らせてみたらいかがなものでしょうか。処暑を過ぎて暑さとともにこういう悲しい事件も消えていくことを望まざるを得ません。
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2012.08.13更新
今年の8月
ペルセウス流星群のショーを見ようと夜空を見上げているのですが、雲が出てきてなかなか流れ星を見つけることができません。街中の明かりもあるのでかなり大きな宇宙塵が落ちてきて明るく輝かないと見えないことは確かですが。東の空の下の方に赤く輝く眉月が浮かんでいます。こういう夜にただ空を見上げているときにはバックグラウンドミュージックはJet Streamがいいですね。ミスターロンリーの音楽を背景に城達也さんのナレーションの入る懐かしい音です。といってもわかるのは私と同じくらいの年代の人くらいになってしまっているでしょうが。小1時間も眺めていたのですが雲が厚くなるばかりで、その間に8月はいろいろな毎年のニュースがあるなあ,原爆の日、終戦記念日、御巣鷹山の航空機墜落の追悼登山のニュースなど、どちらかというとあまり明るいとはいえないいろいろな出来事のニュースが流れますが、今年はオリンピックの開催年ということもあってオリンピックのニュースがテレビを埋め尽くしているなあなどと考えていました。例年だと父の誕生日が8月なので、今年はどこへ誕生祝いの食事に連れて行こうかと考えるのですが、今年の1月に突然鬼籍に入ることになってしまったため,8月の我が家の行事が無くなってしまいました。毎年この時期が来ると来年も誕生祝いができるかなと心の中で思っていたりしたのですが、実際にできなくなると何となく心の張りが無くなってしまいますね。生涯一人の医師として自分の生を全うするまで患者さんと向き合っていたと言うことを考えると頭の下がる思いで、自分の今までの人生でしてきたことを考えて結局医師として父には敵わないんだなあと思ってしまいます。おっ、こんなことを書いていたら雲が少し消えてきています。もう少し夜空を眺めてみましょうか。
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2012.08.11更新
夏の夜のファンタジー
そろそろ、夏の夜空を彩るペルセウス流星群のみられる時期になりましたね。12日の夜がピークになるそうですが、天候が崩れそうな気配でちょっと心配です。夏や冬の夜空は見上げていても飽きない豪華さです。夏は白鳥座のデネブ、わし座のアルタイル(彦星)、こと座のベガ(織り姫)この間を流れる天の川。もっとも名古屋の夜空ではとても天の川はよくわかりませんけれど。山の中に入って空気が澄んでいる新月の夜などは本当に空から落ちてくるような錯覚さえ覚えます。子供の頃に実家の鳳来寺で空を見上げてあまりの星の多さに怖くなるほど驚いたのを今でも覚えています。その子供の頃の体験以来あの今にも降ってきそうな星空を見る機会がなかったので、もう20年以上前になりますが、モロッコのマラケシュで国際学会があったときにわざわざ大口径の双眼鏡を持って行って夜空を見上げてみたことがありました。しかしそれほど感動するような夜空でなくて天の川がわかるという程度で、これなら日本の中でも見られる程度だなあとがっかりしたのを覚えています。夜空を見上げていると何となく心が落ち着くものですね。この流星ショーは言い換えれば、いろいろな種族の人間が地球という宇宙船に乗って宇宙を旅する間に、塵が溜まっている場所を通り過ぎるときに塵が大気圏に入って燃え尽きるときの現象でしかないのですよね。しかしそうであるから、尚更地球という宇宙船を大事にして乗客である人間がみんな仲良く手を取り合って幸せな将来のためにと進んでいかないといけないのだと思うのです。そんなことを考えると一人でも多くの方に人類の将来を託せる後継者を育ててもらえるようになお一層がんばらねばと、少々疲れてしまって気持ちが萎えそうになっているときには思い直すことができます。今年もできる限り夜空を眺め、流星を見つけて一人でも多くの方が妊娠出産ができますようにと願いをかけなけれは。神頼みかと言われそうですが、私は人事を尽くして天命を待つという言葉にもあるようにできる限りのことをしても最後は神の存在する部分があると思っているのです。物事がうまくいかなかったら自分のなすべきことが足りなかったから、うまくいけばそれは自分のなすべきことがまあまあできただけ、足りないところに神の手助けがあってできたことで、神様に感謝なんですよね。自分が何とかしてあげたとか言うような思いあがりは可笑しとおもうのです。他の人の喜びに参加させてもらっただけというのが正しいのではないでしょうか。さあて、夜空でも見に行きましょう、ついでにちょっと個人的なささやかなお願いもしようかな
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2012.05.02更新
五月
とうとう五月になりゴールデンウィークにはいりました。少し前までエンゼルパークの駐車場上の土手のタンポポの群生しているところをみて春だなあと思っていたのに、あっという間に綿毛ばかりになってしまってその上にあるツツジの花が咲き出してきています。本当に季節の移り変わりも早いものです。自宅にあるシャクナゲもピンクの花を咲かせています。暖かくなって良い季節なのですが最近では黄砂が飛んでくるので鼻炎の私に取っては大変な季節です。今年は杉や檜の季節はなんとかそこそこで乗り切ったのですが、黄砂はどうもいけません。突然くしゃみと鼻水が止まらなくなってしまいます。梅雨が過ぎて暑くなるまで辛抱の日が続きます。
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2012.03.07更新
早いもので、もう啓蟄も過ぎてしまいました。少し前に雨水で長く厳しかった冬から本当にすこし暖かくなって日本の72候24節気というのはたいしたものだなあと思っていたのですが。日本人の昔からの生活の中での自然の観察から作り出された節目ですが、昔の人の観察の鋭さには驚きます。こういう節気ごとの旬な食材やお魚、俳句などいろいろな情報を配信してくれているのが、"くらしの暦"というアプリで結構楽しめます。日本の四季の移ろいを文字と写真で楽しませてくれます。
日曜日に実家の鳳来寺に行って来ましたが、裏庭の梅の花が7分咲になっていました。もうずいぶんの老木で幹などにも日本書画に描かれる梅の木のような斑が入っております。毎年いつの間にか、そっと見てくれる人がいなくても鮮やかな花を咲かせています。思わず"東風吹かば"と菅原道真公の句が浮かんできました。今年は梅の開花が遅いと言われていますが、それでもだんだんと春が近づいていますね。もうじき蕨、薇が出てきて筍がにょきにょき顔を出し、鶯が鳴く春になるのも間近ですねえ。
日曜日に実家の鳳来寺に行って来ましたが、裏庭の梅の花が7分咲になっていました。もうずいぶんの老木で幹などにも日本書画に描かれる梅の木のような斑が入っております。毎年いつの間にか、そっと見てくれる人がいなくても鮮やかな花を咲かせています。思わず"東風吹かば"と菅原道真公の句が浮かんできました。今年は梅の開花が遅いと言われていますが、それでもだんだんと春が近づいていますね。もうじき蕨、薇が出てきて筍がにょきにょき顔を出し、鶯が鳴く春になるのも間近ですねえ。
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2012.01.15更新
みんな大人になったなあ
今年は特に成人を迎えましたという年賀状をたくさんもらいました。私が大学で体外受精を行っていたときに妊娠された方達のお子さんです。少し前からそういう年賀状はいただいていたのですが、今年は多いなあという印象です。要は20年前に治療されてお子さんが元気に生まれてきた方達からの年賀状です。その方達と関わったときのことは今でも鮮明に覚えていて、つい数年前のことでしかないように感じられるのですが、現実には20年を経ているのです。きっと浦島太郎もこんな気持ちを抱いたのかなあと思ってしまいます。1日1日とその日の治療に腐心しながら一生懸命頑張ってきて、自分としては相変わらずの毎日でしかなかった気がするのですが、いつの間にか20年という歳月が過ぎていたのかあ~と、ハッとするとともに洗面台の鏡に映った自分の顔にそうなんだなあと納得させられたりするのです。精神的なものは20年前に止まったままで、相変わらずの精神年齢なのですが。
体外受精治療のパイオニアの故Steptoe博士や、ICSIのパイオニアのベルギー大学のSteateghem教授と一緒に撮った写真を見た方に「この写真の中の先生は若いですねえ」と言われてしまいました。本当に写真の中の自分が若いのですよね...........
さて年賀状の話にもどって、そんな成人を迎えましたという写真の中に印象深い1枚があります。3つ子ちゃん(失礼!もうちゃん付けではありませんね)の成人記念の写真があります。私も当時品胎を5組作ってしまいました。そのなかの1組のお子さん達です。男の子は精悍な顔立ちのたくましそうな立派な大人に成長されていて、女の子も美しい成人女性に成長されていて、ああ本当に良かったみんな元気で成長してくれていると本当に安心します。なんだか身内の子供の成長を喜んでいるような気持ちです。妊娠されから分娩までも心配の連続で、元気に生まれてきてくれた後も無事成長してくれることが一番の気がかりであった私にとっては、本当にうれしい限りなのですが、経た年数を感じずにはいられないのですよね。
体外受精治療のパイオニアの故Steptoe博士や、ICSIのパイオニアのベルギー大学のSteateghem教授と一緒に撮った写真を見た方に「この写真の中の先生は若いですねえ」と言われてしまいました。本当に写真の中の自分が若いのですよね...........
さて年賀状の話にもどって、そんな成人を迎えましたという写真の中に印象深い1枚があります。3つ子ちゃん(失礼!もうちゃん付けではありませんね)の成人記念の写真があります。私も当時品胎を5組作ってしまいました。そのなかの1組のお子さん達です。男の子は精悍な顔立ちのたくましそうな立派な大人に成長されていて、女の子も美しい成人女性に成長されていて、ああ本当に良かったみんな元気で成長してくれていると本当に安心します。なんだか身内の子供の成長を喜んでいるような気持ちです。妊娠されから分娩までも心配の連続で、元気に生まれてきてくれた後も無事成長してくれることが一番の気がかりであった私にとっては、本当にうれしい限りなのですが、経た年数を感じずにはいられないのですよね。
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2012.01.01更新
2012年元旦
2012年になりました。朝は少々曇っていたものの風はそれほどではなく外に出てみても意外と寒くない一日となりました。お昼過ぎに近くの氏神様にお参りに行ってきました。いつもはほとんど人通りがない神社ですが、元旦のお昼過ぎであまり寒くないと言うこともあって結構初詣の人達が次々に見えて、寒さのためにたき火も行われていて暖をとるヒトも見え、流石にお正月だなあと感じさせる光景でした。そういえば昔は普通に見られた冬の風情とも言えた焚き火というものが、ダイオキシン騒ぎで消え失せて久しいですね。冬はあのたき火の中に薩摩芋を入れて、ほかほかの湯気が立つ焼きたてのお芋を食べたりしたことが懐かしく思い出されます。最も若い人達には何のことだかと首をひねることなのでしょうが。そういうお正月の定番の双六、おたふく、カルタ取り、羽根つきなどはほとんど見られないのではないでしょうか。まあ、確かにそれほどおもしろい遊びという程のものでもなかったですがね。今はさしあたってコンピューターゲームか、PSP、DSとかなのでしょうが、これも少したてばスマートフォンの遊びになってしまうのでしょうかね。年末も押し詰まって親戚の葬儀に新幹線で出かけたのですが、隣に座っていた母親と高校生くらいの息子の二人はずっとお互いのスマートフォンをいじりっぱなしで顔も見合わせない状態で時にはPSPを持ち出したりもしていました。マイクロチップを持った人間が作り出した小さな機械に思考回路をほとんど取り込まれるように熱中している。そんな姿を見ていて、なんだか親も子も自分以外の人との面倒な関わりよりも、小さな機械とのコミュニケーションの方が楽とでもに言わんばかりに熱中しているという姿が現代の親子の像なのかなとちょっと心配になりました。
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