院長のひとりごと

2014.01.01更新

 毎年不妊治療を行って、妊娠された方からの年賀状のやりとりをしているのですが、今年特に多いなあと感じたのが、生まれたお子さんが社会人になるという内容でした。少し前は大学生になりましたとか、成人式ですという年賀状が多かったのですが、皆さんお子さんがそろそろ卒業の頃になってきたのです。と言うことは少なくとも22歳辺りになるのです。
 以前産婦人科医になりたてのころに携わった分娩で生まれてきたお子さんが、結婚・妊娠されて受診された際に、お産の際にはお世話になりましたと母が申しておりました言われて、まだまだ未熟な自分が分娩を取り扱っていたの姿を思い出して気恥ずかしいやら、あのときのた赤ちゃんが次の世代の赤ちゃんを身ごもっているのかと驚くやら、と言う経験をしました。現在それとは少し異なるものの、まもなく自分が顕微鏡の中で受精したばかりの姿を見させて貰った方達が次の世代を産み出すことになるのだなあと、いつの間にか不妊治療に関わってから過ぎ去った年月を考えざるを得ません。勤務医として医師を終えるのであれば約40年間医療に携わるわけです。その期間の2/3を不妊治療を中心にしてきて、新たな命を誕生させることに携わってきて、良かったなあと思う反面、どうしてもご希望を叶えることが出来ずに終わってしまった方に申し訳なく思う気持ちもわいてきます。100%望みを叶えてあげられるようにと頑張ってはいても力及ばず、年齢の壁に涙をのむことに本当に情けなく思います。
 新年を迎える度に心を新たにして、受診される方の望みに添えるように頑張らねばと思うのです。
今年も受診される方達に幸多い年となることを願っております。

投稿者: いくたウィメンズクリニック

2013.12.22更新

いつも寝る前に何か本をもそもそ読んでねるのですが、最近面白いというか考えさせられている本が、名古屋今昔散歩というご当地物の本なのです。今と昔の写真で構成された本ですが、見ていると面白いのです。虫眼鏡を出して主に昔の写真のところを拡大してみたりしているのです。昭和30年代とかいろいろな年代の古い写真をみていると、自分が子供の心は名古屋という街はこんな風だったのかなあと、ページをめくる度にびっくりしながら古い写真のところを覗き込んで細かい風景を探したりするのです。栄界隈もこんな小さな街でしかなかったのかなあとびっくりしてしまったりします。そして自分の記憶を呼び起こしながら、そうかそんなだったのかなあと、新ためて考え込んだりするのです。小学校の頃は昭和区に住んでいたので、小学校は吹き上げの小学校だったので、学校の先生が用もなくあまり北の方には遊びにいかないようにというような事を言っていたのを憶えています。理由は今の中小企業会館の吹き上げ公園のところが刑務所だったのです。小学校の校舎の2階の窓から、刑務所の中の建物の屋根が高い塀越しに少しみえたりしていました。現在から考えるとそんな街の中に刑務所があるというのはあり得ないと思いますが、当時は何も感じませんでした。恐いもの見たさに一度言ってみましたが、レンガ造りだったような気がしますが、小さな子供にとってはものすごく高い塀なんだなあとビックリしたのを思い出します。確かに遠足というと八事の今の交差点から東山公園までで、これがいやでいやで渋々歩いていたのも憶えて今でも憶えています。当時は市電が八事の交差点で終点でした。周りは赤茶けた土の凸凹した起伏の激しい丘でしかなく、歩いている間にお店が1軒くらいあっただけの本当に郊外という感じでした。瑞穂運動場もしかりで、確か今の野球場ではなかったかと思いますが、いまの地下鉄の瑞穂運動場西口の駅のあたりに市電の停留場があり、そこで降りててくてく未舗装の砂埃の舞い上がる道を歩いていったのを憶えています。何が言いたいのかというと、こういう記憶は50年くらい前のものだという事で、学校などで江戸の末期の事を習っていたときでも、ものすごく想像すらできない昔という感じでしかなかったのです。チョンマゲ結って刀さした武士が普通に生活していた時代というのはなんと150年くらい前でしかないという事なのです。そんな事を考えていると人間の歴史というのは凄まじい勢いで変化しているのだなあと、この年になって初めて気づいたのです。科学の進歩に伴う生活の変化、知識の変化も膨大なものがあります。何たって私が医者になって1年したあたりでポケットベルができて、ただ呼び出し音がなるだけのものでしたが、なんと便利なものができたんだと驚いたものです。それがディスプレー付きになったと思ったら、携帯電話が本当の意味でも持ち運べる程度になり、あれやこれや昨日が増大して、今やスマートフォンに替わりつつあります。昔は親にこういう風に使うんだと講釈を垂れていた自分が、いまやこれどうやったらうまく動くんだあ?と息子に聞く有様です。不妊症関係の学会などでも体外受精胚移植治療を手探りに模索していた、培養液も自分で作り顕微授精の針も自作をしていた世代の医師達から、そういうものは売っているものを使うのが当たり前という世代の若い医師達に替わりつつあるなあとも思います。時代はどんどん変わっていくのだなあと実感しているこの頃です。

投稿者: いくたウィメンズクリニック

2013.11.29更新

今年は夏からあっという間に冬になってしまって、紅葉の秋が紅葉の冬になってしまいましたね。もう中道の銀杏も黄色くなって葉を落としています。寒暖の差が激しい方が綺麗に色づくのですが、今年はあまりに寒くなったので散るのも早いし、おまけに台風が遅めに来たので、かなり葉をすでに落としてしまっている樹木もありそれが残念です。熱田神宮の銀杏やモミジもすっかり色づいて葉を落としています。もうすでに北の方では雪の頼りも聞かれていつもの年ならテレビで紅葉風景の忠敬などが京都からされるのですが、今年は全くありませんね。オーバーを着たりマフラーをしたりしての紅葉中継は絵になりませんからねえ。紅葉の観光地では観光客が来なくて商売があがったりでしょうね。

投稿者: いくたウィメンズクリニック

2013.09.25更新

うちのビルは持ち主が結構頻繁に変わるのです。私のクリニックが入ってからでも、GEエジソン生命から大洋薬品、COIと変わりビル名がGEエジソン生命ビルから名古屋プラザビルにかわりCOI名古屋プラザビルに変わりました。最後の方は面倒なのとお金がかかるのでCOIを無視していましたが、今度はいちご不動産が買って、なんと「いちご栄ビル」という名前にしますと言ってきました。こうなると大変です。以前のように接頭語のようにくっついていたものを無視するだけでは済みません。診察券や各種の書類、薬袋、あちらこちらにある広告のビル名まで変えないといけない上、役所の届けなどもしないといけなくなります。金額的にもももすごい額がかかってしまいます。持ち主はマネーゲームをして、自分の持ち物になったからと名前をつけて気分がいいかもしれませんが、昔から入っているビル内のテナントは堪ったものではありません。怒り心頭に発するという感じです。自分たちのマネーゲームでテナントに損害あたえているということをどう考えているのでしょうかねえ。

投稿者: いくたウィメンズクリニック

2013.09.03更新

 いつしか、秋の気配でしょうか。草むらから夜も更けてくると虫の音が聞こえてくるようになりました。まだまだ日中は暑いものの、夜が更けてと朝早くは結構涼しくなってきました。めっきりと暗くなるのが早くなってきましたね。6時を回ると暗くなってきます。日曜日に実家に行っての帰途につく時間になって、もう空は薄暗くなって来ており、山の上、西の空に金星が明るく輝いていました。もうそんな時期なんだなあと思ってしまいました。おもわず城達也のジェットストリームの名ナレーションを思い出してしまいました。ミスターロンリーのバックミュージックにのせて「夜の静寂のなんと饒舌なことでしょう」というあれです(これがわかる方はかなりの年配ですが)。
 宵の明星,明けの明星と呼ばれ、季節によって明け方に見えたり宵の口に見えたりする地球に最も近い惑星はさすがに明るく輝いています。昔の人達もその明るさに何か不思議さとか神秘的なものを感じ取っていたのでしょうか?都会ではあちらこちらの照明のせいで奇麗に見えることはありませんが、郊外に出ていると星の輝きに驚くことがあります。実家の方でも今でこそあちらこちらに照明がついていたりしますが、私が両親につれられて実家に行った子供の頃ではほとんど民家の家の電灯の光しかなく、それも今のようにガラス窓が多く外に明かりが漏れる様なものではなく障子であったりし、さらに雨戸を閉めたりしたものなので明かりの漏れも少なかったのです。新月の日などはそれこそ外にいれば、目の前で鼻を摘まれても分からないくらいの漆黒の闇でした。その中で上を見上げると、ぎっしりと夜空を埋め尽くしているが星が今にも降ってきそうで怖いくらい近くに感じられたのを今でも鮮明に覚えています。大学時代にモロッコで開催された不妊症の国際学会へ行った際も、夜はきっとすごい星座がみられるだろうと期待に胸膨らませて、重たい天体観測用の双眼鏡を持っていったのを思い出します。まあ結局のところ埃っぽい荒れ地の砂漠地帯だったので、夜も思ったほど空が澄んでいなくて、この程度なら日本でも郊外で場所を選べばみられるなあと、期待ほどでなくがっかりしました。しかし、行く前にはそんなことは全然知らなかったのですが、アンモナイトをはじめとする化石がアトラス山脈の山肌では露出していて、そういった化石を子供たちや地元の住民が掘り出しては観光客に売っているのです。それに出くわして、そっちの方も非常に興味があるので、一緒に行ったみんなに何を買い込んでいるんだというような顔をされながら、いっぱい買い込んでかえってきました。しかし日本に着くや否やほとんど子供たちに奪い取られてしまいましたが。
 秋の空はあまり目立った星座もなくちょっぴり寂しいのですが、そのあとに出てくる華麗な冬の星座達が自分たちの出番を今か今かと待ち遠しく思っているのではないかと思うとちょっと心楽しい気がしてきます。
 こんな文章をもし読まれた方が見えましたら、郊外に出られた際、月の光がないときにはぜひ夜空を見上げてみてください。何万光年も昔の地球がなかった頃に出された星の光を見てみてください。




投稿者: いくたウィメンズクリニック

2013.08.13更新

相変わらず酷い暑さですねえ。日本各地で40度を超える暑さになっています。このような暑さになる以前は、夏の今頃の夜に蝉がミンミンと鳴いていたものです。最近はそれもないほど暑い訳かなあ、と思っていたのですが、昨日夜少し涼しくなった(とは言っても昼間の暑さを相殺できる訳ではないのですが)ので、運動がてら家の周りを歩いていたら、照明されている神社の木でミンミンと蝉が鳴いていました。ああ、夜蝉が鳴いていたと少しほっとするとともに、夜少し気温が下がるようになったためだとすると、やはり立秋という季節の節目というものを過ぎたためなのかあ、だとするとこんな毎年異常気象という言葉がニュースで取り上げられるようになっても、長い間に日本の人達が作り上げてきた季節の節目というものは偉大だなあと感心せざるを得ません。

投稿者: いくたウィメンズクリニック

2013.08.07更新

もう立秋だそうで、涼風至という候になりました。本当に現実の暑さを考えると、何が秋なものかと熱い外にいるとイラっとしてしまいますが、もう秋でこれからはこの暑さも残暑と言う名前になり、出す葉書も残暑見舞いになるのだなあと考えてしまいます。そういえば心なしか蝉の声も静かになってきたような気もします。これで蝉の声が日暮の声に変わってくると本格的に秋秋を身近に感じるのですが。まだもう一つというところでしょうか。今年の夏はというか、このところ毎年なのですが猛暑続きで記録更新ばかりしている気がします。そこにゲリラ豪雨が起こったりして、被害を受けている方達の映像を見ると、日本もどんどん住みにくくなるのかなあと考えてしまいます。夏といえば子供の頃は汗を垂らしながら蝉取りをしたり、外で走り回っていたものなのですが最近の子供は家に籠もってエアコンの効いた部屋でコンピューターゲームとかスマホゲームだそうで、インターネット依存の子供が急増しているというニュースを聞くとちょっと心配になりますね。やっぱり子供は日やけして夏には2回くらい日やけした皮膚がむけるくらいでないとなあと思ってしまいます。でも最近の夏の暑さは異常ですからあまり外で遊んでいてはいけないのでしょう。昔は日射病に気をつけて帽子をかぶれとか言われたものですが、最近は熱中症に気をつけてといわれるようになっちゃいましたから。大人でも家にいて熱中症になって救急車で運ばれてしまう時代です。昔はこんな事はなかったし、純日本家屋なら、戸を開け放して縁側で豚の蚊取り線香を焚きながら団扇や場合によっては扇風機くらいまでで涼めたものでしたが。今時はそんなことで涼をとる人も殆どいなくなりましたね。日本家屋と言うものはそういう暑さをしのげるように出来ていたと思います。いくら屋根が焼けていてもうちの中にその熱は入り込まないし、開け放てば家の中を風が通っていく構造でしたから。都市部では純日本家屋も目にすることが殆ど無くなってきていて、洋風の木を使わない住宅が多くなり、ある意味便利で住みやすく変わっていっているのでしょうが、そのために返って自然な暮らしの環境が失われてきている気がしますね。
 私も今年の暑さは流石に参っていて、学会が大分で有るのですが、ちょっと交通の便がよくなく、おまけにそのあとにお盆休みがあるので今回は最後まで迷いましたがパスしてしまいました。去年の長崎の学会も交通の便がよくなくて、12時近くに家に帰り着いたらものすごい疲れが溜まってしまって翌日から体調がおかしくなってしまったのでやっぱり無理かなと。歳を取ったかなあ

投稿者: いくたウィメンズクリニック

2013.07.31更新

夏の朝の神宮を歩いていると駐車場の銀杏の木には既にギンナンの実が出来ています。まだ夏真っ盛りというのになんと気の早いことと思いつつも、早くこの暑さから逃れたいなあと紅葉の季節が待ち遠しいなあとも思います。子供の頃から夏休みといえばミンミンと蝉の声が定番でした。今風にいえば鉄板もの?。蝉という漢字が夏の蝉の姿をよく現しているなあと思うのですが、同じ単というつくりの漢字で弾がすぐに連想されて、何となく外側が硬いものといった印象を持っているのですが、飛騨地方と言う漢字も同じ単というつくりが付きます。そんなことを歩きながら考えていたら気になってきて調べていたら、外側が硬いなどという勝手な想いとは全く異なって、葦毛に丸い模様のある馬とか野生の馬を表している漢字だそうで、飛騨という地名は疾走する野生の馬から出来たのかなと考えてしまいました。確かに馬だと木曽駒というくらいで一山脈越した木曽地方の方が有名ではあるけれど、木曽の馬はのんびりパカパカという感じで、木曽山脈も飛騨山脈に比べればややなだらかな山脈という感じですから、やっぱり疾走する馬という地名の飛騨は険しいそそり立つような山の多い飛騨山脈で飛騨という漢字ががぴったり来る感じですね。

投稿者: いくたウィメンズクリニック

2013.07.17更新

今年の夏は春先から梅雨になり、空梅雨があけたと思ったら猛暑となってしまったりして、初夏の清々しいという季節はどこかに失せてしまってますね。最近は円安に動いた性もあって、中国人・韓国人の団体客を熱田神宮で見かけることが再び増えてきています。今日はそれに加えて高校生か中学生に相当する年代の韓国の学生だと思うのですが、一団体観光に来ていました。反日教育の強く、靖国神社参拝にも注文を付けてくる国からの神社観光というのは、どういう目的なのだろうと思ってしまいました。まさかこういう古来の日本の宗教や考え方が今の日本人の間違いの根源だという教育を兼ねて観光にきているのだろうか、と思ってしまったりもします。まあ日本でも外国への修学旅行に出かけて、訪問国の宗教を尊重しているとは思えない単なる観光をしていたりもしますから、文句はいえないでしょうね。7月も半ばになり、もう間もなく夏休みになりますから、恒例の緑陰教室も熱田神宮で開かれます。この準備で7月に入るか入らないかの頃から、境内のあちらこちらに俄仕立ての簡易の教室が設置となるのですが、今年は昨年に比べて2つほど教室の設置が少ないように思います。神社側が大変なので縮小してきたのか、申込者が減少しているためなのかわかりませんが、子供たちが朝8時頃から境内に帽子をかぶり、水筒とリュックを背負って、ワイワイ集まって来ているのをみると、毎年ああ夏休みが始まったんだなと感じるので、教室が少なくなったのはちょっと寂しい気がしました。

投稿者: いくたウィメンズクリニック

2013.07.01更新

申し訳ございませんが、最近受診予約がなかなか取りにくくなっております。これはひとえに私の問題で起こっております。どうしてもお一人お一人に対して重要なことは直接お話をしないと気が済まない性格もあって、一定の時間内に診察できる患者さんの人数か限られてしまいます。おまけに、どうしてもお話が長くなり予定された時間内診察が終了しないこともしばしばあり、予約にもかかわらず長くお待たせすることになってしまうことがあります(ことがではなくて始終だというご意見もあると思いますが...)。m(_ _)m
さらにはいろいろなことで午後の開始時間が遅れることも一因だと持っております。来院される方の受診内容から、受け付けさんが診察時間の長短を考えて調節をしていてくれるために、これでもまだお待たせする時間を短くしてくれています。私が電話を受勝手に予約を入れたりすると怒られてしまいます。こういう事情でインターネットを介した予約は受診される方からすると便利そうに思えますが、大混乱になってとんでもない待ち時間になってしまったりする可能性が高くσ(^_^;)、当院では不可能だと考えております。

投稿者: いくたウィメンズクリニック

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