2014.03.04更新
アレルギーです。春です。
1週間くらい前には4月並みの暖かさもあって、そのときには久屋公園の土手に早くも3-4本タンポポが咲いていて、中には気の早いタンポポが綿毛になっていました。こういうところに季節を感じますねえ。しかし、春だけはそれ以外のものも感じます。春来ぬと目にはさやかに見えねども..ではなくて、目に来ています。痒い痒い、鼻は鼻水はあまりでないですが、詰まります。この2-3日はくしゃみも出るし。だいたいこういう症状は2月くらいから徐々に出てきますねえ。ひどいときは1月から出てきますから、今年はまだましかなあと思ってしまいます。鼻にも来るのですが10年くらい前からのどにも来るようになって、のどのあたりが乾燥した感じがして咳き込んだりもします。だいたい、杉、檜、稲、ブタクサなどなど7月終わりまで直りません。でも20年くらい前に皮内テストをしたら杉とハウスダストとカンジダのアレルギーがあると言われました。2年くらい前に採血でわかるというものがあったので検査したら何も出ませんでした。血液の検査はどうもあまり信用できないなあ。
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2014.02.04更新
更に昔の話
今昔散歩の本を読み終わって、最近は尾張名所絵会(絵解き散歩)という本を寝る前にちらちら見ております。江戸時代の尾張名所圖會という書物の絵とその解説が書かれていて、最初は古くさい絵の載っているいまいちの本かなあと思いながらも買って帰ったのですが、読んでいくとこれもまた面白い。あちらこちらで目にする地名とその150年くらい前の江戸時代の観光ガイドのような絵図を見ながら解説がされているのですが、昔のそんな圖會がどの方向から描かれていて現在の状態と位置関係まで書かれており、更にその当時から今までの変化などにも触れられていて非常に面白いのです。これまた文章を読んだ後に。どれどれと虫眼鏡を取り出して絵をしげしげ見ているので、寝る前に2−3ページ見ればもう疲れて寝てしまう状態です。例えば大須ではかって清寿院境内にあった那古野山という現在の写真が載っていたりするのですが、たびたび大須に行っているのにこんな盛り土のような山どころか丘とも言えないものがどこかにあるらしいのですが見た事がない。はてどこにあるのだろうかと、考えるのですが見当がつかない、気になって仕方ないのでgoogle earthで空からの写真で探すのですがわからない。些細なことですがこんな事で時間がどんどん過ぎていってしまいます。牛巻に至っては、その少し先の新堀川のできる前に、そこに精進川と言う川があり、その淵に牛さえも巻き込み川に引きずり込んで食べてしまう大蛇がすんでいたといわれた事からついた地名だと知ると、昔のあの辺りがこんな風だったのかあんな風だったのかと思いを巡らせるのが非常に楽しいのです。まあしかし、こういう本を面白がってみていられるのは寝る前にくらい中にスタンドの明かりで見ている性なのだろうなあとも思ってしまいます。そういう環境で読むから一層あれこれ想像がかき立てられて面白いのでしょうねえ。宵の口や明るいうちではいろいろと周りからの雑音や、やらなければ行けない事に追いまくられて、心の余裕もないですから。夜の11時過ぎのテレビ番組でぼーっと見ていれば何となく見てしまう番組が、ちょっと視聴率があるからといってゴールデンの時間帯に移動したりしたところ、全然視聴率がとれずに終了してしまうという話とちょっと似たところもありますが、私が言いたいのは、この本が本当はつまらない本だとかいう事ではなく、この本は忙しいときとか時間のないときにバタバタとページをめくる本ではなくて、リラックスできる時間にゆったりと読む事で本当の面白さが引き出される本田という事です。そういうお時間の持てる方は一度ご覧になってはいかがでしょう。あ、この本は今のところ待合室にはおく予定はありません。なかなか自分の名前が呼ばれないのにいらいらしている環境で読む本ではないような気がするからで.....
診療までお待たせしてしまう事が多く申し訳ありません。
診療までお待たせしてしまう事が多く申し訳ありません。
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2014.01.01更新
平成26年元旦
毎年不妊治療を行って、妊娠された方からの年賀状のやりとりをしているのですが、今年特に多いなあと感じたのが、生まれたお子さんが社会人になるという内容でした。少し前は大学生になりましたとか、成人式ですという年賀状が多かったのですが、皆さんお子さんがそろそろ卒業の頃になってきたのです。と言うことは少なくとも22歳辺りになるのです。
以前産婦人科医になりたてのころに携わった分娩で生まれてきたお子さんが、結婚・妊娠されて受診された際に、お産の際にはお世話になりましたと母が申しておりました言われて、まだまだ未熟な自分が分娩を取り扱っていたの姿を思い出して気恥ずかしいやら、あのときのた赤ちゃんが次の世代の赤ちゃんを身ごもっているのかと驚くやら、と言う経験をしました。現在それとは少し異なるものの、まもなく自分が顕微鏡の中で受精したばかりの姿を見させて貰った方達が次の世代を産み出すことになるのだなあと、いつの間にか不妊治療に関わってから過ぎ去った年月を考えざるを得ません。勤務医として医師を終えるのであれば約40年間医療に携わるわけです。その期間の2/3を不妊治療を中心にしてきて、新たな命を誕生させることに携わってきて、良かったなあと思う反面、どうしてもご希望を叶えることが出来ずに終わってしまった方に申し訳なく思う気持ちもわいてきます。100%望みを叶えてあげられるようにと頑張ってはいても力及ばず、年齢の壁に涙をのむことに本当に情けなく思います。
新年を迎える度に心を新たにして、受診される方の望みに添えるように頑張らねばと思うのです。
今年も受診される方達に幸多い年となることを願っております。
以前産婦人科医になりたてのころに携わった分娩で生まれてきたお子さんが、結婚・妊娠されて受診された際に、お産の際にはお世話になりましたと母が申しておりました言われて、まだまだ未熟な自分が分娩を取り扱っていたの姿を思い出して気恥ずかしいやら、あのときのた赤ちゃんが次の世代の赤ちゃんを身ごもっているのかと驚くやら、と言う経験をしました。現在それとは少し異なるものの、まもなく自分が顕微鏡の中で受精したばかりの姿を見させて貰った方達が次の世代を産み出すことになるのだなあと、いつの間にか不妊治療に関わってから過ぎ去った年月を考えざるを得ません。勤務医として医師を終えるのであれば約40年間医療に携わるわけです。その期間の2/3を不妊治療を中心にしてきて、新たな命を誕生させることに携わってきて、良かったなあと思う反面、どうしてもご希望を叶えることが出来ずに終わってしまった方に申し訳なく思う気持ちもわいてきます。100%望みを叶えてあげられるようにと頑張ってはいても力及ばず、年齢の壁に涙をのむことに本当に情けなく思います。
新年を迎える度に心を新たにして、受診される方の望みに添えるように頑張らねばと思うのです。
今年も受診される方達に幸多い年となることを願っております。
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2013.12.22更新
年月
いつも寝る前に何か本をもそもそ読んでねるのですが、最近面白いというか考えさせられている本が、名古屋今昔散歩というご当地物の本なのです。今と昔の写真で構成された本ですが、見ていると面白いのです。虫眼鏡を出して主に昔の写真のところを拡大してみたりしているのです。昭和30年代とかいろいろな年代の古い写真をみていると、自分が子供の心は名古屋という街はこんな風だったのかなあと、ページをめくる度にびっくりしながら古い写真のところを覗き込んで細かい風景を探したりするのです。栄界隈もこんな小さな街でしかなかったのかなあとびっくりしてしまったりします。そして自分の記憶を呼び起こしながら、そうかそんなだったのかなあと、新ためて考え込んだりするのです。小学校の頃は昭和区に住んでいたので、小学校は吹き上げの小学校だったので、学校の先生が用もなくあまり北の方には遊びにいかないようにというような事を言っていたのを憶えています。理由は今の中小企業会館の吹き上げ公園のところが刑務所だったのです。小学校の校舎の2階の窓から、刑務所の中の建物の屋根が高い塀越しに少しみえたりしていました。現在から考えるとそんな街の中に刑務所があるというのはあり得ないと思いますが、当時は何も感じませんでした。恐いもの見たさに一度言ってみましたが、レンガ造りだったような気がしますが、小さな子供にとってはものすごく高い塀なんだなあとビックリしたのを思い出します。確かに遠足というと八事の今の交差点から東山公園までで、これがいやでいやで渋々歩いていたのも憶えて今でも憶えています。当時は市電が八事の交差点で終点でした。周りは赤茶けた土の凸凹した起伏の激しい丘でしかなく、歩いている間にお店が1軒くらいあっただけの本当に郊外という感じでした。瑞穂運動場もしかりで、確か今の野球場ではなかったかと思いますが、いまの地下鉄の瑞穂運動場西口の駅のあたりに市電の停留場があり、そこで降りててくてく未舗装の砂埃の舞い上がる道を歩いていったのを憶えています。何が言いたいのかというと、こういう記憶は50年くらい前のものだという事で、学校などで江戸の末期の事を習っていたときでも、ものすごく想像すらできない昔という感じでしかなかったのです。チョンマゲ結って刀さした武士が普通に生活していた時代というのはなんと150年くらい前でしかないという事なのです。そんな事を考えていると人間の歴史というのは凄まじい勢いで変化しているのだなあと、この年になって初めて気づいたのです。科学の進歩に伴う生活の変化、知識の変化も膨大なものがあります。何たって私が医者になって1年したあたりでポケットベルができて、ただ呼び出し音がなるだけのものでしたが、なんと便利なものができたんだと驚いたものです。それがディスプレー付きになったと思ったら、携帯電話が本当の意味でも持ち運べる程度になり、あれやこれや昨日が増大して、今やスマートフォンに替わりつつあります。昔は親にこういう風に使うんだと講釈を垂れていた自分が、いまやこれどうやったらうまく動くんだあ?と息子に聞く有様です。不妊症関係の学会などでも体外受精胚移植治療を手探りに模索していた、培養液も自分で作り顕微授精の針も自作をしていた世代の医師達から、そういうものは売っているものを使うのが当たり前という世代の若い医師達に替わりつつあるなあとも思います。時代はどんどん変わっていくのだなあと実感しているこの頃です。
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2013.11.29更新
今年は夏からあっという間に冬になってしまって、紅葉の秋が紅葉の冬になってしまいましたね。もう中道の銀杏も黄色くなって葉を落としています。寒暖の差が激しい方が綺麗に色づくのですが、今年はあまりに寒くなったので散るのも早いし、おまけに台風が遅めに来たので、かなり葉をすでに落としてしまっている樹木もありそれが残念です。熱田神宮の銀杏やモミジもすっかり色づいて葉を落としています。もうすでに北の方では雪の頼りも聞かれていつもの年ならテレビで紅葉風景の忠敬などが京都からされるのですが、今年は全くありませんね。オーバーを着たりマフラーをしたりしての紅葉中継は絵になりませんからねえ。紅葉の観光地では観光客が来なくて商売があがったりでしょうね。
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2013.09.25更新
ビルの名前
うちのビルは持ち主が結構頻繁に変わるのです。私のクリニックが入ってからでも、GEエジソン生命から大洋薬品、COIと変わりビル名がGEエジソン生命ビルから名古屋プラザビルにかわりCOI名古屋プラザビルに変わりました。最後の方は面倒なのとお金がかかるのでCOIを無視していましたが、今度はいちご不動産が買って、なんと「いちご栄ビル」という名前にしますと言ってきました。こうなると大変です。以前のように接頭語のようにくっついていたものを無視するだけでは済みません。診察券や各種の書類、薬袋、あちらこちらにある広告のビル名まで変えないといけない上、役所の届けなどもしないといけなくなります。金額的にもももすごい額がかかってしまいます。持ち主はマネーゲームをして、自分の持ち物になったからと名前をつけて気分がいいかもしれませんが、昔から入っているビル内のテナントは堪ったものではありません。怒り心頭に発するという感じです。自分たちのマネーゲームでテナントに損害あたえているということをどう考えているのでしょうかねえ。
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2013.09.03更新
宵の明星
いつしか、秋の気配でしょうか。草むらから夜も更けてくると虫の音が聞こえてくるようになりました。まだまだ日中は暑いものの、夜が更けてと朝早くは結構涼しくなってきました。めっきりと暗くなるのが早くなってきましたね。6時を回ると暗くなってきます。日曜日に実家に行っての帰途につく時間になって、もう空は薄暗くなって来ており、山の上、西の空に金星が明るく輝いていました。もうそんな時期なんだなあと思ってしまいました。おもわず城達也のジェットストリームの名ナレーションを思い出してしまいました。ミスターロンリーのバックミュージックにのせて「夜の静寂のなんと饒舌なことでしょう」というあれです(これがわかる方はかなりの年配ですが)。
宵の明星,明けの明星と呼ばれ、季節によって明け方に見えたり宵の口に見えたりする地球に最も近い惑星はさすがに明るく輝いています。昔の人達もその明るさに何か不思議さとか神秘的なものを感じ取っていたのでしょうか?都会ではあちらこちらの照明のせいで奇麗に見えることはありませんが、郊外に出ていると星の輝きに驚くことがあります。実家の方でも今でこそあちらこちらに照明がついていたりしますが、私が両親につれられて実家に行った子供の頃ではほとんど民家の家の電灯の光しかなく、それも今のようにガラス窓が多く外に明かりが漏れる様なものではなく障子であったりし、さらに雨戸を閉めたりしたものなので明かりの漏れも少なかったのです。新月の日などはそれこそ外にいれば、目の前で鼻を摘まれても分からないくらいの漆黒の闇でした。その中で上を見上げると、ぎっしりと夜空を埋め尽くしているが星が今にも降ってきそうで怖いくらい近くに感じられたのを今でも鮮明に覚えています。大学時代にモロッコで開催された不妊症の国際学会へ行った際も、夜はきっとすごい星座がみられるだろうと期待に胸膨らませて、重たい天体観測用の双眼鏡を持っていったのを思い出します。まあ結局のところ埃っぽい荒れ地の砂漠地帯だったので、夜も思ったほど空が澄んでいなくて、この程度なら日本でも郊外で場所を選べばみられるなあと、期待ほどでなくがっかりしました。しかし、行く前にはそんなことは全然知らなかったのですが、アンモナイトをはじめとする化石がアトラス山脈の山肌では露出していて、そういった化石を子供たちや地元の住民が掘り出しては観光客に売っているのです。それに出くわして、そっちの方も非常に興味があるので、一緒に行ったみんなに何を買い込んでいるんだというような顔をされながら、いっぱい買い込んでかえってきました。しかし日本に着くや否やほとんど子供たちに奪い取られてしまいましたが。
秋の空はあまり目立った星座もなくちょっぴり寂しいのですが、そのあとに出てくる華麗な冬の星座達が自分たちの出番を今か今かと待ち遠しく思っているのではないかと思うとちょっと心楽しい気がしてきます。
こんな文章をもし読まれた方が見えましたら、郊外に出られた際、月の光がないときにはぜひ夜空を見上げてみてください。何万光年も昔の地球がなかった頃に出された星の光を見てみてください。
宵の明星,明けの明星と呼ばれ、季節によって明け方に見えたり宵の口に見えたりする地球に最も近い惑星はさすがに明るく輝いています。昔の人達もその明るさに何か不思議さとか神秘的なものを感じ取っていたのでしょうか?都会ではあちらこちらの照明のせいで奇麗に見えることはありませんが、郊外に出ていると星の輝きに驚くことがあります。実家の方でも今でこそあちらこちらに照明がついていたりしますが、私が両親につれられて実家に行った子供の頃ではほとんど民家の家の電灯の光しかなく、それも今のようにガラス窓が多く外に明かりが漏れる様なものではなく障子であったりし、さらに雨戸を閉めたりしたものなので明かりの漏れも少なかったのです。新月の日などはそれこそ外にいれば、目の前で鼻を摘まれても分からないくらいの漆黒の闇でした。その中で上を見上げると、ぎっしりと夜空を埋め尽くしているが星が今にも降ってきそうで怖いくらい近くに感じられたのを今でも鮮明に覚えています。大学時代にモロッコで開催された不妊症の国際学会へ行った際も、夜はきっとすごい星座がみられるだろうと期待に胸膨らませて、重たい天体観測用の双眼鏡を持っていったのを思い出します。まあ結局のところ埃っぽい荒れ地の砂漠地帯だったので、夜も思ったほど空が澄んでいなくて、この程度なら日本でも郊外で場所を選べばみられるなあと、期待ほどでなくがっかりしました。しかし、行く前にはそんなことは全然知らなかったのですが、アンモナイトをはじめとする化石がアトラス山脈の山肌では露出していて、そういった化石を子供たちや地元の住民が掘り出しては観光客に売っているのです。それに出くわして、そっちの方も非常に興味があるので、一緒に行ったみんなに何を買い込んでいるんだというような顔をされながら、いっぱい買い込んでかえってきました。しかし日本に着くや否やほとんど子供たちに奪い取られてしまいましたが。
秋の空はあまり目立った星座もなくちょっぴり寂しいのですが、そのあとに出てくる華麗な冬の星座達が自分たちの出番を今か今かと待ち遠しく思っているのではないかと思うとちょっと心楽しい気がしてきます。
こんな文章をもし読まれた方が見えましたら、郊外に出られた際、月の光がないときにはぜひ夜空を見上げてみてください。何万光年も昔の地球がなかった頃に出された星の光を見てみてください。
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2013.08.13更新
残暑と夜の蝉の鳴き声
相変わらず酷い暑さですねえ。日本各地で40度を超える暑さになっています。このような暑さになる以前は、夏の今頃の夜に蝉がミンミンと鳴いていたものです。最近はそれもないほど暑い訳かなあ、と思っていたのですが、昨日夜少し涼しくなった(とは言っても昼間の暑さを相殺できる訳ではないのですが)ので、運動がてら家の周りを歩いていたら、照明されている神社の木でミンミンと蝉が鳴いていました。ああ、夜蝉が鳴いていたと少しほっとするとともに、夜少し気温が下がるようになったためだとすると、やはり立秋という季節の節目というものを過ぎたためなのかあ、だとするとこんな毎年異常気象という言葉がニュースで取り上げられるようになっても、長い間に日本の人達が作り上げてきた季節の節目というものは偉大だなあと感心せざるを得ません。
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2013.08.07更新
立秋?
もう立秋だそうで、涼風至という候になりました。本当に現実の暑さを考えると、何が秋なものかと熱い外にいるとイラっとしてしまいますが、もう秋でこれからはこの暑さも残暑と言う名前になり、出す葉書も残暑見舞いになるのだなあと考えてしまいます。そういえば心なしか蝉の声も静かになってきたような気もします。これで蝉の声が日暮の声に変わってくると本格的に秋秋を身近に感じるのですが。まだもう一つというところでしょうか。今年の夏はというか、このところ毎年なのですが猛暑続きで記録更新ばかりしている気がします。そこにゲリラ豪雨が起こったりして、被害を受けている方達の映像を見ると、日本もどんどん住みにくくなるのかなあと考えてしまいます。夏といえば子供の頃は汗を垂らしながら蝉取りをしたり、外で走り回っていたものなのですが最近の子供は家に籠もってエアコンの効いた部屋でコンピューターゲームとかスマホゲームだそうで、インターネット依存の子供が急増しているというニュースを聞くとちょっと心配になりますね。やっぱり子供は日やけして夏には2回くらい日やけした皮膚がむけるくらいでないとなあと思ってしまいます。でも最近の夏の暑さは異常ですからあまり外で遊んでいてはいけないのでしょう。昔は日射病に気をつけて帽子をかぶれとか言われたものですが、最近は熱中症に気をつけてといわれるようになっちゃいましたから。大人でも家にいて熱中症になって救急車で運ばれてしまう時代です。昔はこんな事はなかったし、純日本家屋なら、戸を開け放して縁側で豚の蚊取り線香を焚きながら団扇や場合によっては扇風機くらいまでで涼めたものでしたが。今時はそんなことで涼をとる人も殆どいなくなりましたね。日本家屋と言うものはそういう暑さをしのげるように出来ていたと思います。いくら屋根が焼けていてもうちの中にその熱は入り込まないし、開け放てば家の中を風が通っていく構造でしたから。都市部では純日本家屋も目にすることが殆ど無くなってきていて、洋風の木を使わない住宅が多くなり、ある意味便利で住みやすく変わっていっているのでしょうが、そのために返って自然な暮らしの環境が失われてきている気がしますね。
私も今年の暑さは流石に参っていて、学会が大分で有るのですが、ちょっと交通の便がよくなく、おまけにそのあとにお盆休みがあるので今回は最後まで迷いましたがパスしてしまいました。去年の長崎の学会も交通の便がよくなくて、12時近くに家に帰り着いたらものすごい疲れが溜まってしまって翌日から体調がおかしくなってしまったのでやっぱり無理かなと。歳を取ったかなあ
私も今年の暑さは流石に参っていて、学会が大分で有るのですが、ちょっと交通の便がよくなく、おまけにそのあとにお盆休みがあるので今回は最後まで迷いましたがパスしてしまいました。去年の長崎の学会も交通の便がよくなくて、12時近くに家に帰り着いたらものすごい疲れが溜まってしまって翌日から体調がおかしくなってしまったのでやっぱり無理かなと。歳を取ったかなあ
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2013.07.31更新
漢字の連想
夏の朝の神宮を歩いていると駐車場の銀杏の木には既にギンナンの実が出来ています。まだ夏真っ盛りというのになんと気の早いことと思いつつも、早くこの暑さから逃れたいなあと紅葉の季節が待ち遠しいなあとも思います。子供の頃から夏休みといえばミンミンと蝉の声が定番でした。今風にいえば鉄板もの?。蝉という漢字が夏の蝉の姿をよく現しているなあと思うのですが、同じ単というつくりの漢字で弾がすぐに連想されて、何となく外側が硬いものといった印象を持っているのですが、飛騨地方と言う漢字も同じ単というつくりが付きます。そんなことを歩きながら考えていたら気になってきて調べていたら、外側が硬いなどという勝手な想いとは全く異なって、葦毛に丸い模様のある馬とか野生の馬を表している漢字だそうで、飛騨という地名は疾走する野生の馬から出来たのかなと考えてしまいました。確かに馬だと木曽駒というくらいで一山脈越した木曽地方の方が有名ではあるけれど、木曽の馬はのんびりパカパカという感じで、木曽山脈も飛騨山脈に比べればややなだらかな山脈という感じですから、やっぱり疾走する馬という地名の飛騨は険しいそそり立つような山の多い飛騨山脈で飛騨という漢字ががぴったり来る感じですね。
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