不妊治療に約30年間携わってきた生田院長には、不妊治療に対して特別な想いがあります。そんな生田院長に、治療に対しての想いなどお悩みを抱えている女性に伝えたいことなどはあるのでしょうか?院長へ女性の視点でお聞かせ頂きました。
― まず、なぜ産婦人科の医師になろうと思ったのですか?
うちは代々医者の家で親戚も医者が多いという環境でした。そんな環境でしたから、医師になることにはあまり疑問は持たなかったですね。なんとなく昔から決めていたというか…。
決意があって産婦人科医を選んだわけではないのだけれど、講義の際に出てきた教授が個性豊かな面白そうな人で産婦人科の仕事をおもしろそうに話すので、すっかりだまされてしまいました。それと、親戚にも産婦人科医が複数いたからでしょうか。
― 婦人科領域の中でも不妊治療を深めてこられたことに理由はありますか
僕が大学で学んでいるとき、確か1978年のことですが、体外受精という治療が世の中に出てきたのです。これは新しい領域で、誰かの役に立てるかなと思ったことは大きいですね。 不妊治療は決してラクなものではないですが、患者さんと一緒に取り組んで結果が出たときの達成感はほかに代えがたいものがあります。妊娠が分かったときの患者さんの喜びの笑顔の瞬間に立ち会えるのは、本当にうれしいものです。
― 不妊治療に関わって40年近く、今のお気持ちは
長年、大学病院で外来や研究に携わってきました。大学に籍を置いて長くなると、仕方ないのですが、どうしても雑用(こちらが主になってくる)が多くなってきてしまい、患者さんと向き合う時間が少なくなってしまうので、思いきってこの場所に開業したのが2003年です。
ずいぶん多くの患者さんの治療をしてきたと思います。やはり忘れられないのは思いが叶ったときの患者さんの笑顔です。今でも毎年年賀状をくださる方もいて、そういう繋がりがうれしいですね。
― 特に印象に残っている患者さんの思い出はおありですか
どの方にもそれぞれいろいろな思い入れがありますが、特に、ということでいうなら、不妊治療を始めたごく初期のころ、三つ子ちゃんを妊娠した患者さんでしょうか。 当時は双子用のベビーカーも市販されていないような時代でしたから、三つ子となるとそりゃあ大変だったと思います。会うたびに申し訳ないと思っていました。でもそのときの赤ちゃんがすでに成人して社会人になっていて、女性はそろそろ結婚されてお子さんができているのではと思っています。私がひとときでも関与してできたお子さんが健康に立派に成長してくれて次の世代、その次の世代を担っていってくれていると感じるのが一番うれしいですね。そして、不妊治療もまたさらにどんどん進んでいます。ただ、どこまで人間が生命の誕生に関与していってしまうのかと考えることもしばしばありますが。
― 不妊治療が大きく進歩した出来事は何でしょう
1992年に顕微授精という方法が確立したことが大きいでしょうね。
それと、今から15年ほど前に、受精卵を凍結させておくという技術も確立された。この2つのタイミングで不妊治療はグンと進みました。
ざっくりした計算ですが、現在は生まれてくる赤ちゃんの30人に一人以上は体外受精で妊娠した子です。さらにその3分の2は、凍結卵子を使った体外受精による赤ちゃんです。
今や普通の卵子を使った人工授精より凍結卵子を使った人工授精のほうが多くなっています。
― 今後はもっと不妊治療が進むでしょうか
もちろん進歩し続けますよ。そういう意味では僕たち医師も日々研鑽を積まなければいけないと思っています。医者はもともと死ぬまで勉強でしょう。
近年注目を浴びているiPS細胞なども、さらなる研究で不妊治療への活用も十分あるでしょう。
― 先生の不妊症治療に対するお考えを少し聞かせてください
結婚して、赤ちゃんが欲しいと思うご夫婦に自然に授かるのが一番いい形だとは思います。ただ、残念ながらそれが叶わない方たちもいらっしゃる。ちょっと医学の手を足すことで、赤ちゃんの欲しい方たちの望みを叶えられるなら、叶えてあげたいというのが僕の不妊症治療の原点です。
以前は、不妊症治療というと特別な治療のような感じがありましたが、現在はそんなこともなく、困った人が医学の手を借りる手段として定着してきています。
ただ、非常にデリケートな問題であることには変わりありません。患者さんの手助けをしながら、いい結果が出ることを毎日楽しみにやっています。
結局、僕は不妊治療が好きなのですね。悩んでいた人に手を貸すことで願いが叶うお手伝いが出来た、その瞬間に非常にやりがいを感じます。
― ご自身の治療を評価してみてください
難しいですね。無事妊娠のお手伝いができた患者さんもいれば、未だ結果の見えない患者さんもいる。それがいつわりのない現実です。
妊娠できた患者さんから喜びの声をいただくこともあります。それをほかの皆さんにお伝えしたい、一緒に喜んでいただきたいと思う気持ちもありますが、未だ望みが叶わずつらい気持ちで受け止める患者さんがいらっしゃると思うとそれもできません。
僕の立場では、やはり妊娠のお手伝いができた人もいるけれど、私の力不足でできていない人もいる、といういい方しかできませんね。
― 女性のキャリア志向と妊娠について、先生の考えを聞かせてください
これは難しい問題です。女性が社会で活躍できる時代になって、たくさんの女性がさまざまな分野で活躍しています。僕は、これは非常に喜ばしいことだと思っています。
ただ、不妊治療を行う立場からすると微妙な問題です。40歳前後になって、それまでキャリアを積んできた女性が、「そろそろ赤ちゃんを…」と思う。が、なかなか自然に妊娠しないから、と不妊症治療に来られる。
でも、35歳くらいから始まって40歳前後というのは、一般的に女性として卵巣の機能がかなり低下してきている年代でもあるんです。どうしても不妊症治療の結果がよくないことも多くなる。こればかりは結果ですから一概にはいえませんが、「もしかしたら30歳前後で妊娠を試みていれば、すんなり妊娠していたかもしれない」と思うと複雑です。
女性は「自分の子供を身ごもって生む」という人間の基本の骨格であるがゆえに、妊娠分娩という出来事を何時するかを自分の置かれた状況の中で選択して生きていかなければいけないということは、理不尽だけど現実かなあと思います。
やりたいことを思う存分やって、欲しいときに赤ちゃんを授かることができたら、それが一番いいのですが、なかなか難しいですね。
― 先生の好きな言葉があれば教えてください
「出会い」とか「縁」とかそういう言葉は好きですね。大学時代のユニークな教授との出会いが今日の僕のスタートになっています。
また、僕を頼ってきてくれる患者さんとの出会い、そして顕微鏡で確認していた細胞が、赤ちゃんとなって会えるとき。不思議と「初めまして」という感覚じゃなくて「やあ、お久しぶり」という気分ですね。
― お時間のあるときになさっている趣味などはありますか
不妊治療は、その患者さんの身体のリズムに合わせて行うので、日曜日も祭日ものんびり休んでというわけにいかないことも多く、あまり仕事以外のことをする体力も気力もないですね。
でも、治療がうまくいったときの患者さんの顔や弾んだ声が僕の原動力となっています。