院長のひとりごと

2013.12.22更新

いつも寝る前に何か本をもそもそ読んでねるのですが、最近面白いというか考えさせられている本が、名古屋今昔散歩というご当地物の本なのです。今と昔の写真で構成された本ですが、見ていると面白いのです。虫眼鏡を出して主に昔の写真のところを拡大してみたりしているのです。昭和30年代とかいろいろな年代の古い写真をみていると、自分が子供の心は名古屋という街はこんな風だったのかなあと、ページをめくる度にびっくりしながら古い写真のところを覗き込んで細かい風景を探したりするのです。栄界隈もこんな小さな街でしかなかったのかなあとびっくりしてしまったりします。そして自分の記憶を呼び起こしながら、そうかそんなだったのかなあと、新ためて考え込んだりするのです。小学校の頃は昭和区に住んでいたので、小学校は吹き上げの小学校だったので、学校の先生が用もなくあまり北の方には遊びにいかないようにというような事を言っていたのを憶えています。理由は今の中小企業会館の吹き上げ公園のところが刑務所だったのです。小学校の校舎の2階の窓から、刑務所の中の建物の屋根が高い塀越しに少しみえたりしていました。現在から考えるとそんな街の中に刑務所があるというのはあり得ないと思いますが、当時は何も感じませんでした。恐いもの見たさに一度言ってみましたが、レンガ造りだったような気がしますが、小さな子供にとってはものすごく高い塀なんだなあとビックリしたのを思い出します。確かに遠足というと八事の今の交差点から東山公園までで、これがいやでいやで渋々歩いていたのも憶えて今でも憶えています。当時は市電が八事の交差点で終点でした。周りは赤茶けた土の凸凹した起伏の激しい丘でしかなく、歩いている間にお店が1軒くらいあっただけの本当に郊外という感じでした。瑞穂運動場もしかりで、確か今の野球場ではなかったかと思いますが、いまの地下鉄の瑞穂運動場西口の駅のあたりに市電の停留場があり、そこで降りててくてく未舗装の砂埃の舞い上がる道を歩いていったのを憶えています。何が言いたいのかというと、こういう記憶は50年くらい前のものだという事で、学校などで江戸の末期の事を習っていたときでも、ものすごく想像すらできない昔という感じでしかなかったのです。チョンマゲ結って刀さした武士が普通に生活していた時代というのはなんと150年くらい前でしかないという事なのです。そんな事を考えていると人間の歴史というのは凄まじい勢いで変化しているのだなあと、この年になって初めて気づいたのです。科学の進歩に伴う生活の変化、知識の変化も膨大なものがあります。何たって私が医者になって1年したあたりでポケットベルができて、ただ呼び出し音がなるだけのものでしたが、なんと便利なものができたんだと驚いたものです。それがディスプレー付きになったと思ったら、携帯電話が本当の意味でも持ち運べる程度になり、あれやこれや昨日が増大して、今やスマートフォンに替わりつつあります。昔は親にこういう風に使うんだと講釈を垂れていた自分が、いまやこれどうやったらうまく動くんだあ?と息子に聞く有様です。不妊症関係の学会などでも体外受精胚移植治療を手探りに模索していた、培養液も自分で作り顕微授精の針も自作をしていた世代の医師達から、そういうものは売っているものを使うのが当たり前という世代の若い医師達に替わりつつあるなあとも思います。時代はどんどん変わっていくのだなあと実感しているこの頃です。

投稿者: いくたウィメンズクリニック

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